1. 飲料水の歴史・日本編~江戸時代にすでにあった飲料水の販売~

飲料水の歴史・日本編~江戸時代にすでにあった飲料水の販売~

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日本はその気候風土から水にはあまり困らない地域でした。 そのため弥生時代から豊富な水を使って稲作を行い、奈良平安の貴族は舟遊びを楽しみ時には川の氾濫にも悩まされます。 そして戦国時代に入ると日本で初めての飲料水用の水道設備が作られます。 その設備は江戸時代に江戸の町に生かされ、そして江戸では飲料水の販売まで行われるのです。

日本初の水道~小田原早川上水道~

日本で最も防御の硬い城として有名な小田原城を拠点に関東を支配した北条家3代目当主、北条氏康が小田原城下に水を引き入れるために作らせたものです。これ以前に上水としての機能を持ったものがないため、日本最古の水道と呼ばれています。水源は箱根の芦ノ湖から流れる早川を水源としています。 後に北条氏は豊臣秀吉によって滅ぼされますが北条攻めに参戦した多くの大名がこれを参考にし、自分の領地で水道設備を作ったようです。

当時、世界で最も進んだ江戸の水道設備~神田上水・玉川上水~

徳川家康は豊臣秀吉の北条攻め後に関東支配を任され当時何もない江戸にやってきます。家康は何もなかった土地に街を作ることを計画し、のちに東京の元となる大都市江戸が誕生します。江戸の町を作る際に家康は江戸の町に水道設備を作ることを計画、1590年に大久保藤五郎に命じて作らせました。これがのちの神田上水です。家康も北条攻めに参戦していたようで、この水道設備はそれを参考にしたと言われています。 玉川上水は神田上水掘削から60年近い時間がたった1652年に作られています。江戸は人口増加と拡大で飲料水不足に陥りました。そこで新しく作ることになったのが玉川上水です。工事を担当したのは多摩川沿いに住む農民で、後に玉川兄弟と呼ばれる二人です。一度目は水を吸いやすい土に当たって失敗し、二度目は岩盤に当たり失敗、そして三度目にして成功するという難工事だったようです。玉川上水の一部は今でも飲料水として利用されています。

江戸時代の飲料水の仕組み

江戸時代の江戸は当時としては世界で最も優れた水道設備を持った都市だと言われており、江戸っ子の自慢話の一つに「水道の水で産湯を使う」という言葉があるほどに発達していました。当時の水道は現代のように高い水圧をかけるわけではありませんので基本的には土地の高低差を利用した方式になっています。玉川上水を例に挙げると、現在の四ツ谷四丁目付近まで蓋をせずに水を流して、その先から地下に木製、もしくは石の水道管を通す暗渠を使って江戸の町に水を送っていたそうです。 この上水の水質や水量の管理を行う場所が四谷四丁目付近にありました。水番屋と呼ばれる仕事で、今で言う水道局のようなものですね。水質管理の魚を取ったり、水浴び、洗い物、ごみやほこりを捨てたりすることは厳しく管理し、水道設備維持のためにも水道料金の徴収もあったようです。江戸の住民はこの水道から流れる水を飲料水として利用していました。

水道が通っていない地域もあった~飲料水の販売、水屋の登場~

江戸の町は先に述べたように何もない元々何もない土地でした。現在の江東区もほとんど海で、小さな島が点在するような土地でしたが、江戸の中ごろになると埋め立てられて隅田川などを利用した物資運搬の拠点になり、多くの人が住むようになります。しかし、現在の本所、深川付近は飲み水に非常に困る地域でした。原因は上水道が隅田川を越えられない、埋め立ての土地のため、水質が悪いので井戸も掘れないという二つの難点を抱えていたのです。 そこで江戸時代に始まったのが飲み水の販売でした。当時「水屋」と呼ばれた仕事で、上水道の通っている所から船や桶に水を汲んで、天秤棒に二つの桶を抱えて深川付近に売り歩いていたそうです。得意先は決まっていたようで、どの家にいつ頃水が不足するか把握して売り歩いていました。現在のウォーターサーバーの販売に近いもので、水がなくなる頃に訪問していました。 水を運ぶという結構な重労働なうえ水が悪くなったりするといけないので頻繁に水を入れ変えなくてはいけない忙しい仕事でしたが、水桶二つで4文という当時かけそばが一杯16文で食べられる時代だったことを考えると非常に利益の薄い商売だったようです。このような仕事は当時の大阪にもあったようで、水質の悪い地域など飲み水に困る地域には比較的あったようです。

明治以降の飲料水

明治に入っても上水は飲料水として使われましたが、これまで幕府によって厳重に管理されてきましたが明治維新の混乱で行き届かなくなり、次第に汚染が進んでしまいました。さらにコレラの大流行があったため、お雇い外国人の力を借りて現在のような水道設備に移行され江戸で発達した水道設備はなくなっていきます。また、このころに兵庫県の平野という場所でそこの鉱泉を使った炭酸ガスを含む水「平野水」という炭酸水が販売されるようになります。三ツ矢サイダーの起源になる飲料水で文豪の夏目漱石の本にも登場し、その後は甘く味付けをするようになり現在の三ツ矢サイダーと同じようなものが販売されるようになりました。 このように江戸時代から水道を使った飲料水の確保が行われてきました。水道が行き届かない場所には水を販売するという現在にも通じる方法をとっていたようです。明治維新後には水道設備がさらに発達し、今で言うペットボトル飲料の販売も行われるようになったのです。